題字 「電通学生論文」
2007年度

少子化社会に広告はいかなる役割を果たすか


・ 電論とは
・ 小野ゼミにとっての電論
・ 2007年度の研究テーマ
・ 活動経過報告
・ 研究をおえて


2007年度電通研究論文(全文ダウンロード)
慶應義塾大学商学部 小野晃典研究会 第5期 電論プロジェクトチーム
(2007) 「少子化社会に広告はいかなる役割を果たすか」

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研究をおえて

投函!
2007年12月7日深夜の高輪郵便局時間外窓口前にて(論文投函直前)
田中照太
バンタム級
 2年生の冬、三田にて行われた入ゼミ全体説明会。 僕と大二郎は、当時再開しようとしていた小野晃典研究会のブースに何となく立ち寄る。 衝撃が走る。

 遊びに遊んだ日吉時代。 2年間のブランクのせいで乾いて屍と化していた僕の脳みそが珍しく、学生広告論文電通賞金賞受賞という快挙を成し遂げた小野晃典研究会第3期生の話に反応する。 乾ききった脳みそに、ある決心がごく自然としみこんでいく。 あたかも、サハラの飢えた砂漠に水を注ぐかのように。

 あれから約1年。 僕と大二郎は晴れて電論メンバーの一員になり、無事、論文を投稿することができた。 今思えばカオスなメンバーだった。 皆さん、我が強すぎる。 誰かが意見を述べると、誰かがすかさずそれを否定して自分の意見を述べる。 議論はいつでも喧嘩口調だったし、時には男女お構いなしの乱闘も勃発した。 顔を目掛けて剛速球で筆箱を投げ合うこともあった。 韓の球威とコントロールはある意味賞賛に値した。 でも、最終的には、各人が果たすべき役割をしっかりと自覚し、6つの強烈な個性がうまく融合したからこそ、僕達は信じられないほどのパワーを発揮することができた。

 人生における第二四半期の初めにこの共同研究プロジェクトに参画したことは、今後の人生にとって大きな意味をもつ。 消印有効10分前、高輪郵便局のカウンター前で封筒を持って6人で撮ってもらった集合写真は、一生の宝物だ。


加藤絵美
ウェザー級
 12月7日、23時50分。 高輪郵便局にて、電通論文無事提出完了。
 締切10分前のことだった。 よかった。 間に合った。 半年に渡る電論生活もこれで終わりだ。 そう思った。

 電論メンバーと多くの時間を過ごしたたくさんの場所が今では懐かしく感じられる。 夏のほとんどを過ごしたP-netも、他の論文チームが姿を消した後のグル学も。 閉館時間を迎えた真っ暗なメディア前も。

 電論に費やされた時間がすべて楽しかったとはいえない。 むしろ辛い時の方が多かったかもしれない。 でも、私が電論から得たものは本当に大きい。 それはもう、この限られたスペースでは語り尽くせないほど。

 自由なメンバーを程よくまとめてくれた鷲見、それかけた議論をいつも元に戻してくれていた大二郎、最後の最後までSASで根性見せてくれたたなしょう、電論のために全力で走り続けてくれたまさし、夜に弱いのに締切日前日1時間睡眠で踏ん張ってくれたかんかん、一緒に辛い時間を乗り越えてきたメンバー全員に私はとても感謝している。 ありがとう。本当にお疲れさま。

 そして何より、「私は電論の7人目のメンバーですから。」 と、最も強力なメンバーとして私たちに多大な力を与えて続けてくださった小野先生。 本当に本当にありがとうございました。 先生には感謝してもしれません。 先生は本当に素敵です。

 「電論」――それはこの半年間私の頭の中から一度も離れたことのなかった言葉。
         そして私を大きく成長させてくれたもの。


鷲見卓也
ライト級
 「活動を終えて」 を執筆するにあたり、初めに、最後の最後まで我々を温かく見守って頂き、そしてご指導下さった小野晃典先生に厚く御礼申し上げたい。 本当にありがとうございました。 また、様々なアドバイスをくれたゼミ生のみんな、そして喜びと苦しみを共有した電論メンバーにお礼が言いたい。 ありがとう。

 私は、電論チームの代表をやらせて頂いたわけだが、他のどのチームよりも個性的であり、自己主張の強いメンバーのそろったこのチームを如何にうまく機能させるかに、研究活動期間を通して頭を悩ます日々が多かったように思う。 そこで、私はミーティングに際して、2つの取り決めを作った。 1つは、ミーティング開始時間に遅刻をしないこと。 もう1つはミーティングを常に全員で行うようにしたことである。 これら2つに共通することは、メンバー間での研究理解度に差が生まれることを防ぐということである。

 各々のメンバーが毎回の議論をしっかりと理解し、議論の主題に対して共通認識を持った上で個々人の主張が行われる。 一見当たり前のように思われるこのことも、話の内容が細部に及ぶと個々人の理解に差異が生じていることが多く、主張内容が理解しがたいものとなる。 議論が細部までに及ぶ研究に関しては、全員がしっかりと内容を理解し、共通認識を持つことが非常に重要なために、上記の2つの取り決め、特にミーティングを常に全員で行っていたことは非常に意味のあることであったと思う。
 
 後期のほぼ全てと言っても過言ではない電論における活動は、1つの目標に向かって全員が本気になって取り組めたものであると思う。 人生においてそう何度とないであろう経験を積めたことは、電論提出後の大二郎の言葉が象徴するように、小野ゼミに入って本当に良かったと思えた瞬間であった。 そして何よりも、研究活動を通して大切な仲間が得られたことは、今後の私の人生の大きな財産となったことは言うまでもない。 電論メンバーのみんな本当にありがとう!!


松山昌司
ウェルター級
 今回電論を出し終えて、やはり小野先生のお力添えがなければ良い作品にはなっていなかっただろう。最後まで本当にありがとうございました。提出して先生の声を電話で聞いた時は本当に涙がでました。

 では、小野先生がいたとして、電論メンバーが5人だったらどうなっていただろう?
まず一番の功労者、絵美がいなかったら・・・
電論は散々たる結果に終わっていたかもしれない。男性メンバーをけちょんけちょんにしてくれたが、クマができ顔が青ざめるまでよく頑張ってくれた。

 次にたなしょうがいなかったら・・・
二郎にあんなに行くようにはならなかったかもしれない。面倒臭いSASを率先して最後までやってくれた。

 鷲見がいなかったら・・・
メンバーの統一が図れなかったかもしれない。自由なメンバーを自由にやらせつつ、決して怒らなかった鷲見、君は立派だよ。

 大二郎がいなかったら・・・
最後まで論文は書けていなかったかもしれない。執筆の段階での貢献度は凄まじかった。さすが読書感想文県知事賞受賞者!

 韓がいなかったら・・・
電論活動中平和だったかもしれない。いつも否定から入り、議論を止めて厄介だったが、それがなければ・・・。

 自分がいなかったら・・・
実際どうなっていたのだろうか?

 やはりどの一人が欠けてもあの論文は書けなかっただろう。自分たちはしょっちゅう言い合いをして、陰で他のメンバーの愚痴を言って、正直いって仲がよかったとはとうてい言えない。しかし、「電論で1位を獲る」という目標にむかってそれぞれが邁進し、最終的に論文という形で自分達は1つなれたし、感動を共有できた。この論文企画を終えて自分を含め、それぞれが何かを感じ、何かを得たであろう。何かというものが何なのか今はよくわからない。だが、その何かはきっと自分たちの糧となるだろう。今後はこれを手に様々な試練を乗り越えていかなければならないが、そのことはまた後日話すことにしよう。

 皆様お疲れ様でした。


石川大二郎
ミドル級
 幼い頃からの憧れであった高校野球という舞台で完全燃焼し、目標を失ってただクソみたいな大学生活を送っていた自分を、再び燃え上がらせてくれたのが電論であった。 そして今、かつての生きがいであった野球以上に熱を入れた電論をやり遂げたことに、大きな満足感と少しの寂しさを覚えている。

 朝から晩までアイディアについて話し合い、膨大な量の文献を読み漁り、数知れないほどのレジュメを作成し、一日のおよそ全ての時間を電論に費やす日々が続いたが、論文は一向に進行しなかった。 あまりにも無力な自分に憤り、苛立ち、時に他のメンバーに八つ当たりすることさえあった。 今振り返ってみても、本当に辛く苦しい日々であったと感じる。 しかしその一方で、「少子化社会に広告はいかなる役割を果たすか」 という壮大な研究テーマに真正面から向き合い、電論に心底夢中になっている自分がいることにもいつしか気づいていた。

 万全の出来であったとは、お世辞にも言えない。 特に、自分が担当していた章の進行が遅れ、投函直前まで内容を詰めきれなかったことは大いに反省すべき点であり、メンバーには迷惑をかけてしまったことを詫びなければならない。 しかし、反省こそすれど、後悔の気持ちは微塵もない。 苛立ちを紛らわすために煙草を吸いすぎてヤニで真っ黒になってしまった前歯や、ストレス解消のために二郎を食べ過ぎて威風堂々とした姿へ変貌を遂げた下っ腹などの代償もあったが、そんなもん比にならないほど得たものが大きかったからである。 投函直後に高輪郵便局で感じた達成感や自信、絆を深め合った仲間、苦しい日々の軌跡を示す電論ノート、そして、悪戦苦闘しながら論文執筆に取組んだ経験そのものが、電論を通じて自分が手に入れた一生の財産である。

 今後のゼミ活動、学期末試験、就職活動、卒業論文…。電論を終えた余韻に浸る間も無く、次の戦いは既に始まっている。 そして、社会に出れば、戦いの連続の日々が自分を待っている。 電論を通じ、本当の喜びや感動は長く苦しい時を乗り越えてこそはじめて感じることができるものであると知った以上、自分はその一瞬の感情のためにこれから先も苦難と戦い続けていくつもりである。 そして、そのような中で、失敗し、苦悩し、挫折することも幾度と無くあるだろう。 しかし、仲間と共に電論に打ち込んだ日々の経験がある限り、いかなる試練をも最後には必ず乗り越えていけるものであると確信している。

 自分の力だけでは、今年度の電通論文研究プロジェクトは満足のいくものにはならなかった。 5期の同輩は、各々の論文で手一杯なのにも関わらず、親身になってアドバイスをしてくれた。 また、森岡さんをはじめ、小野ゼミのOBの方々からも数多くの貴重なアドバイスを頂いた。 陰ながら応援してくれた家族の存在も、非常に心強いものであった。 そして、一つの目標に向かって共に切磋琢磨した電論メンバーからは、沢山の刺激をもらった。自分を支えて下さった全ての人に、感謝の意を表したい。そして何より、時に優しく、時に厳しく、未熟な自分に最後まで熱心なご指導をして下さった我が「恩師」小野晃典先生に深く感謝を申し上げる次第である。


韓可
ヘビー級
 2007年8月末、グル学にて電論チーム初の会合が開かれた。それは3ヶ月間に及ぶ怒涛の日々の始まりであった。

 この3ヶ月間で減ったもの――家での滞在時間。 電論プロジェクトが始まると、我が家は睡眠の場所としての役割を果たすだけの存在となった。 その睡眠時間も終盤に近づくほど短縮されていき、時には寝室としての機能すら果たさなくなってしまった。

 この3ヶ月間で増えたもの――外食、ニキビ、そしてグル学とP-netでの滞在時間。 コンビニ弁当、おにぎり、サンドイッチ・・・総支出に対する外食費の割合は今までになく高くなった。 睡眠不足や不規則な食生活とともに私につきまとうニキビの存在は、最大の脅威であった。 毎日開店前から陣取っていた夏のP-net、周囲の人から喧嘩だと誤解されるほど白熱した議論を交わした小野ゼミ生憩いの場、グル学は、我々にとって第2の家と呼ぶにふさわしい場所となった。

 この3ヶ月間で得たもの――知識、体力、精神力、・・・そしてかけがえのない仲間たちと過ごした時間。 もちろん、楽しいことばかりではなかった。 しかし、つらい経験をエネルギーに変えるたくましさこそが、成長の原動力になることを信じたい。 電論チームは、成長するための絶好の場であったといえる。 そして、この3ヶ月が、私の人生の大きな里程標になることは疑いの余地がないことであろう。

 末筆ながら、論文執筆に際し多大なるご指導をして下さった小野先生に、心から感謝申し上げたい。 本当にありがとうございました。



(※ 体重が軽いといわれている人から、体重が重いといわれている人への順に、コメントが掲載されています。)

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