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・ マーケティングゼミ合同研究報告会とは ・ 小野ゼミにとっての位置付け ・ 2024年度の小野ゼミの研究テーマ ・ 研究経過報告 ・ 発表会当日のスケジュール ・ 発表会当日の模様 ・ 研究を終えて |
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私たちの三田論の始まりは、非常に順調であった。むしろ、順調すぎた。2回目の既存研究レビューで、香乃がレビューした論文に対し、先生が、「これは面白いよ」とおっしゃった一言で、私たちの三田論のテーマは早々に決まった。先輩方からも驚きの声が上がるほど、かつてないほどに順調な滑り出しであった。しかしながら、そのときの私たちは、まだ何も知らなかった。順調だったのは、テーマ決定までだったということを。その後に待ち受けている、地獄のような泥沼を、あの時は想像すらしていなかった。(増山) |
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7月になり、ディベート大会を終えた休息も束の間、三田論のテーマ探しのために既存文献レビューを行った。そう簡単に三田論のテーマは決まらないだろうと思っていたが、先生が仮説を提示してくださったこともあり、直ぐに決定した。おそらく既存文献レビュー1週目か2週目であったと思う。そのまま要旨も順調に決まり、春学期のゼミを終え、誰しもが安堵していた。しかし、本当の闘いはここから始まるのであった、、。 |
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期末テストも終わり、いよいよ夏休み。私たちは早速要旨と1章から3章の執筆に取り組み始めた。週1対面、週4オンラインで相談をし、LINEやNotionで逐一進捗を報告し合う日々であった。また、2章執筆のために大量の文献を読み、自分たちの研究分野について理解することに奮闘していた。(豊田) |
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実験&分析と同時並行に第3章までの執筆を進める日々。週に2回のzoomでは到底時間は足りず、全員が参加できなくとも、参加できる人がいるときはできる限り集まって作業をしようとみんなで決めた。しかしこれは本当に正しかったのだろうか。毎度同じ参加メンバー、引継ぎ不備による二度手間など、非効率を極める原因となっていた気もする。週に1度小野先生との相談会を設けていただき、その日に先生に相談する点をまとめるために作業していた。これはすべて三田論を完成させることが目的であったはずである。しかし、当時の私たちは、相談会を乗り越えることが目的になっていた。研究活動全体のスケジュールを考えることができていなかったと深く反省している。 |
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10月のメイントピックは何といっても学会での発表であった。昨年度、21期の先輩方が参加されていた、日本マーケティング学会ポスターセッションに私たち22期も挑戦した。ポスターについては、夏休みの期間にデザインの段階から何度も何度も試行錯誤を重ねていたこともあり、「ある程度納得のいく」ポスターを10月上旬には作り上げていた。しかし、今回の三田論で用いた概念や分析結果を、会場に来てくださる一般の方々や実務家の方々に正しく理解してもらうため、小野先生をはじめ、院生の方々、21期の先輩方に、ポスターセッションの前日まで丁寧にご指導ご鞭撻を賜り、「これなら受賞できる!と自信を持つことのできる」ポスターを完成させることができた。当日は、研究の内容を言語化して説明する練習をゼミ内外問わず積み重ねてきた成果を発揮し、見事、2年連続でU24ベストポスター賞を受賞することができた。また、他の学生や社会人が提出していたポスターを見ることで、様々な研究分野に関する知見を深めることのできる良い機会となった。(平) |
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三田祭でのパネル発表、マーケティングゼミ合同研究発表会、四分野インゼミなど、11月は、研究について発表する機会に恵まれた。マーケティングゼミ合同研究発表会と四分野インゼミの当日、ド緊張の私たちであったが、誰一人として大きなミスを犯すことなく、多くの方々に研究内容について理解してもらえるような発表を行うことができた。発表を終えた私たちの心は、研究に費やしてきた日々が遂に報われたという達成感で満ち足りていた。(舘野) |
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カレンダーが12月に変わっても、私たちの三田論は、完成とは程遠いものであった。発表は終わった。しかし、論文執筆は終わっていない。むしろ、本当の戦いはここからだった。「年内には、必ず執筆を終わらせます。」そう先生に宣言した私たちは、卒業論文のテーマ探しと並行しながら、毎日のように対面やZoomでひたすら論文に向き合い続けた。しかし、どれだけ真剣に取り組んでいるつもりでも、私たちが提出する原稿は、誤字、脱字、揺らぎといったケアレスミスに溢れていた。先生にはその度にご指摘をいただき、自分たちの詰めの甘さが、情けなかった。そして迎えた、年内最後の本ゼミ。私たちの三田論は、まだまだ未完成だった。終わりの気配すら見えない。これからどうすればいいのだろうという不安に包まれ、12月は終わった。(増山)
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2025年の1月は、英語版の原稿制作に追われた。未だ日本語版の原稿を完成させることの出来ていなかった私たちにとって、英語版の原稿を完成させるという目標は、到底達成できない目標のように思えたものの、先生や北澤さんに多くのご指導をいただき、結果的に何とか期限内に完成させることができた。
(舘野)
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1月末に、海外学会に参加するために必要な論文の要旨の提出が完了し、今年度のゼミが終了したため、一段落した私たち22期は、未だ合格をいただけていない章の修正や、参考文献が足りているかどうかのチェックなど、各自できることをやってはいたものの、本格的な論文執筆を一旦休止してしまった。今になって振り返ってみると、ここから論文執筆を再開するまでに、半年という長期間を要してしまったことは、ここまで論文の完成が遅れてしまった要因の1つと言いうるであろう。大きなブランクができたことにより、小野先生と論文の内容を随時共有する機会を失ってしまったことはもちろん、揺らぎや稚拙なミスを見つけるセンサーが鈍ってしまった(最初から決して鋭くはなかったが)結果として、完成度の低い原稿を何度も提出することとなり、史上ワーストを大幅に更新する遅延となってしまった。小野先生からは、22期の計画性の無さについて、何度もご指摘いただいていたにもかかわらず、改善することができていなかったために、論文の完成が遅れてしまったこと、それに伴い、小野先生に過度にご負担をおかけすることとなってしまったこと、22期一同猛省しております。(平)
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4年生春学期、全力で卒業論文に取り組んでいた私達だったが、そもそも三田祭論文が未だ完成していないのである。進捗が全く23期と同じであった。なぜ春学期に手を付けてこなかったのか、心から自分たちの思考が理解できない。当時私たちは、先生が添削してくださった原稿にある指摘を修正して再提出していた。実に愚かである。先生の指摘が当てはまる他の個所の修正を怠っていたのである。頭を使い、自ら改善しようという姿勢が私たちには欠けていた。とにかく早く提出をして、小野先生に合格をいただきたい、その一心で執筆活動に取り組んでしまっていたのである。目的を目標としてしまい、締切から逆算せず危機感のない、現状だといつ執筆が終わるのかを想像もしない、あの頃の自分たちをぶん殴ってやりたい。目を覚ませ、これ以上こんな私たちを見捨てずに付き合ってくれている先生を振り回さないで、、(渡辺)
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11月は、実験章から抜け出せない月であった。実験内容について余すことなく正しい情報を伝え、先生が納得できる質の高い実験章を完成させるために奮闘していた。そして、12月に入る直前、私たちは「は vs. が」助詞問題に直面する。どちらの助詞にするのが正しいのかについて、他の例文で考えてみたり、両パターン試して考えてみたり、かなり悩み苦しんだ。普段何も考えることなく使っている助詞を、論文において正しく使うとなるとこんなにも難しいものなのか、と執筆の大変さを学んだ。今後の人生において、助詞についてこれほどまでに考えることはきっとないであろう。(豊田)
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本来であれば、1年前の同時期にはもう終わっていたはずの三田論を私たちはまだ行っていた。三田論が終わらなければ卒論を提出することができなかったため、全員で必死に三田論に取り組んでいたものの、気づけば12月になってしまっていた。ここで、私たちはどうしたら今月中に三田論を終えることができるかを考えた(本当はもっと早くから取り組むべきであったが、、)。同期全員が、何よりも三田論を終えることに尽力する覚悟があったので、これまでの論文執筆において最大のネックポイントであった、先生とのラグを無くす方法を考えた。ラグとは、先生に論文を添削していただいたき、自分たちが修正に入るまでの時間差の事である。そして、私たちは、先生の家に論文を受け取りに行く時間を無くし、いつでも全員で集まれる環境を整備すべく、恵比寿のエアビ施設を2週間借りることにした。お金はかかったが、三田論を終えることができるのであればどうでもよかった。このエアビ作戦が意味のあったものかは分からないが(私はとても意味があったと確信している)、2年かけて三田論をようやく完成させることができた。終わったときは、安堵の気持ちと、卒論の不安でいっぱいになったが、とにかく嬉しかった。こうして、22期生の長い長い三田祭論文執筆活動に終止符を打つことができた。(五十君)
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報告会日時:11月21日(日)13:40-17:00 報告会会場:三田キャンパス南校舎5階 南校舎ホール |
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| 13:40 開会式 報告会開会の辞 (小野先生) 13:50 開会式終了 13:55 小野晃典研究会研究報告 14:15 質疑応答(高田ゼミ生・小野ゼミOB高木様・高田先生) 14:40 高田英亮研究会 研究報告 15:00 質疑応答(小野ゼミ生・小野ゼミOB高木様・小野先生) 15:20 閉会式 (高田先生) |
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いよいよ待ちに待ったマケ論発表当日!恵比寿のカラ鉄での二徹を終えたものの、結局三田論執筆は終わらず、、、。それはさておき、私たちは発表に全力を注ぐことを決意し、発表に向けた最終準備を始めました。前日に、実際に発表を行う南校舎ホールでリハーサルを行いましたが、そこで私たちは興奮と緊張を覚えました。それもそのはず、私たちは、南校舎ホールは授業で使ったことがあるものの、壇上に上がることは愚か、一番前の席に座ったことさえもなく、ホール前方から見たその規模の大きさを、その時初めて実感したからです。私たちは、その大きなキラキラとしたホールで発表できるという高揚感とともに、絶対に成功させなければならないという緊張感をもちました。そして、発表当日。小野ゼミは、今年マケ論代表を務めていたため、先輩方や高田ゼミ生に協力していただきながら、会場の準備を整えました。発表には、小野ゼミ生と高田ゼミ生、先生方だけでなく、一般客の方々やゲストの小野晃典研究会第3期OBの高木研太郎など多くの方々にお越しいただきました。発表では、残念なことに、緊張のせいか完璧な発表をすることができませんでしたが、なんとか発表を終えることができました。高田ゼミ生や、高田先生、ゲストの高木様から鋭いご指摘をいただき、今後の三田論執筆活動の参考になる貴重な学びを得る機会になりました。今回の反省を踏まえ、次に迫る四分野インゼミに向けて、入念な準備を進めていこうと思います!また、今回マケ論代表として無事成功を収めることができましたのは、親身になって相談に乗ってくださった今野さんや高田ゼミのマケ論係の方々のおかげです。小野先生をはじめ、ご尽力いただきました皆様、ありがとうございました!!!(豊田)
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フィードバックをくださいました! |
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高田先生です! |
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ありがとうございました。 その他の写真のダウンロードはこちらからどうぞ! |
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本当に長かった。私たちは3年だけでなく、4年のほとんどの時間をかけて三田祭論文執筆活動を終えた。研究を終えたあと、達成感や自身の成長を感じるのが当たり前かもしれないが、私は正直、「やっと終わった。長かった。」という感情しか湧かなかった。三田祭論文執筆活動を通して私が学んだことは、自分の無力さと、仲間の頼もしさである。私は、中学受験も大学受験も満足のいく結果だったので、それなりに頭はいい方なのかなと勝手に思っていた。しかしゼミに入り、同期と三田論を書き進める中で、本当に自分が何もできない人間であると悟った。論文を書く能力もなければ、分析をする能力もない。先生のおっしゃることが理解できないことも多々あり、本当に必死で食らいついていた。それでも最後までやりきることができたのは、間違いなく周囲の存在があったからだと思う。同期は、皆本当にすごい。私はすぐ「まあこれでいいんじゃない?」と思ってしまう人間だが、皆は三田論を一言一句見て、疑問点や改善点を次々と挙げていく。「確かに」と思いながら、よくそこまで考えられるなと感心することばかりだった。自分一人では到底辿り着けなかった場所まで連れていってくれたのは、間違いなく同期の存在である。本当にありがとう。また、院生の先輩方、21期の先輩方も、いつも的確なご指導をくださり、本当にありがとうございました。自分では気づけない視点を何度も示していただき、そのたびに論文が一段深まっていくのを感じました。
そして最後に小野先生。至らない点が多い私たちを最後まで見捨てることなく、丁寧にご指導くださり、本当にありがとうございました。 |
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実に1年以上の遅れでついに三田論が完成した今、その達成感は正直なところあまりなく、長かった、その一言のような気がします。4年の12月に三田論が完成するという前代未聞の結果となり、不甲斐なさと申し訳なさがやはり大きいです。私は三田論代表という立場にありながら、まとめることも、先生と円滑にコミュニケーションをとることも、明確なスケジュールを立てることも、全く上手くできず、役割を果たせていたかと言われると、決してはいとは言えません。本当に頼りない代表で、同期のみんなには、迷惑をかけっぱなしだったと思います。それでも、この前代未聞の2年間にわたる三田論執筆活動を、なんとか最後まで一緒に乗り越えることができたのは、紛れもなく同期のみんなのおかげです。ここからは、そんなみんなにメッセージを送らせてください。りんこは、本当に正直者で芯が強くて、どんな状況でも前を向いていて、ポジティブでい続けてくれました。行き詰まってどうしようもなくなったときも、りんこの存在があったから「きっとなんとかなる」と思えました。本当にありがとう。そうまは、1番ちゃんと話を聞いてくれて、1番優しい人だと思います。どんなに深夜になっても全然いいよとやってくれて、私が困った時にはいつでも「大丈夫?」と声をかけてくれて、いつも本当に救われていました。本当にありがとう。ひなたは、ゼミ長として常に前に立ち、私が何もできていないときも、どんな場面でもカバーしてくれました。文章のことはひなたに聞けばなんとかなるし、いつも最初に相談するのはひなたでした。みんなもそうだと思うし、そう思える絶対的な信頼があります。本当にありがとう。かのは、誰よりも仕事が早くて、かのに相談すればなんでも大体のことは解決する安心感がありました。マケ論で忙しい中でも、嫌な顔ひとつせず誰よりも動いてくれたし、私が辛いときも隣にいてくれました。帰りに一緒に大学前の道を走って、油そば特盛を食べた時間は忘れません。本当にありがとう。ななかは、分析はもちろん、他の誰よりも三田論を深く理解していて、適当で楽観的すぎる私たちの中で、ななかがいてくれたからこそ、ちゃんとしないとと思う場面がたくさんあったし、22期はななかがいないと成り立っていません。何もできていない私に、いつも「ありがとう」と言ってくれて、その言葉に、毎回救われていました。本当にありがとう。辛いこと、苦しいことの方が多かったですが、完成が遅れたことも、全部含めて、私にとってこの2年間はかけがえのない時間、財産です。22期のみんなと一緒に三田論に取り組めたことを心から誇りに思っています。本当にありがとうございました。
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私にとって、「三田論執筆活動」は何だったのであろうか。22期にとって、「三田論執筆活動」は何だったのであろうか。卒論の執筆が終わり、肉体的にも精神的にもやや落ち着くことのできた2月某日、そんなことを考える機会があった。友人と食事をしていたあるとき、「小野ゼミに入って良かったと思う?」と、友人がふいに聞いてきた。友人の意図は、察するに、“小野ゼミに入って良かった?”という言葉どおりのフラットな意味合い以外に、“こんなに大変なゼミに入ることは最善の選択肢だと思う?”というマイナスな意味合いも持ち合わせていた。それに対して、私は、若干の飲酒状態で雄弁にこう答えたのを覚えている。「就活をはじめ、知らない人と喋るときには、そのほとんどがゼミの話だったし、実際、ゼミの話をしているだけで、面接も突破することができた。小野ゼミじゃない世界線を体験しているわけじゃないから比較することはできないけど、小野ゼミに入って後悔するとかは全くないよ!」、と。そう答えた数分後、「逆にゼミ活動の中で後悔してることって何だろう。」と、自身を振り返ったとき、真っ先に頭に思い浮かんだのが、“三田論”であった。そこで、「三田論執筆活動とは何だったのか。」と、漠然とした疑問が生じた。私は、その答えを、そのとき考えたことを思い起こしながら、ここに書き記しておこうと思う。小説家気取りで、書き慣れない文章を書きながら、こんなに前置きが長くなってしまったのだが、三田論の執筆が始まった6月、私にとって、三田祭論文執筆活動は、“未知”そのものであった。ろくに文章を書いたこともなく、その能力が著しく欠けていた私は、何を書けばいいのか分からない、どう書くべきなのか分からない、こんなこと誰に聞いていいのか分からないと、分からないことずくめの執筆活動に大苦戦。正直、今になっても文章を書く力が身に付いたかどうかは、それこそ“分からない”のだが、22期に迷惑をかけまいと、三田論の研究内容について疑問に思ったことを積極的に聞くようにしたり、6人全員で書いた1章〜3章を何度も読み直して理解度で後れを取らないようにしたりと、自分なりに工夫しながら、なんとかこの期間を乗り越えることができた。夏休みに入っても引き続き、対面またはzoomにて作業をしながら迎えた10月13日。私にとって、三田祭論文執筆活動は、“積み上げてきた成果”となった。というのも、研究経過報告にて詳述したとおり、私たち22期は、法政大学で開催された日本マーケティング学会2025にて、U24ベストポスター賞を受賞することができた。しかし、この結果以上に私が嬉しかったことは、私の案がゼミ内で採用されたことであった。当時、私は、パッケージデザイン研究を行っていたことをどうにかポスターにも反映させようと、ポテトチップスの裏面をモチーフにしたデザインを作成した。このデザイン案が最終的に、実際に提出したポスターにも採用され、結果として実を結んだことが、私自身、三田論執筆活動(厳密に言えば執筆ではないような気もするが)に多少なりとも貢献することができたと感じて、何よりも嬉しかった。その後、しばらくの間、私にとって、三田祭論文執筆活動は、“困難”を極めていた。おそらく、22期にとっても、“困難”であったであろう。論文の原稿を何度提出しても上手く行かない。少し前進したかと思えば、杜撰なミスばかりで後退する毎日。今となっては、明らかに取り組み方や計画の立て方に改善するべき部分が多数あったにもかかわらず、目の前のミスだらけの原稿を前に、そこまで考える余裕もなく、自分自身を苦しめる以上に、貴重なお時間を割いてご添削してくださる小野先生にご心労をおかけすることとなってしまった。7月に入り(期間が空きすぎている、かつ、しれっと西暦も変わっているが)、私にとって、三田祭論文執筆活動は、“飛躍”に変わった。というのも、小野先生や院生の方々にご指導いただき、私たち22期は、三田論の研究成果を、7月最終週に香港で開催されたGMC(正しくは2025 Global Marketing Conference at Hong Kong)にて、6人全員で発表した。三田論を執筆していた当初からは全く考えられないほどの飛躍に心躍る想いであったのと同時に、これまで三田論執筆活動に携わってきてくださった、小野先生、院生の方々、21期の先輩方、OBOGの方々に対して深い感謝の念を抱いた。こうして半年の空白期間を経て、再開した三田祭論文活動であったのだが、その後12月に至るまで、私にとって、三田祭論文執筆活動は、再び“困難”を極めていた。前年の繰り返しかのような体たらくに、「本当に三田論を完成させ、卒論を今年度中に終えることはできるのか。」と、私を含め、22期一同、不安になりながらも、ある週には、小野先生のご自宅の近くにあるAirbnbの部屋を借りて、夜通し作業するなんてこともあったなあと、今ではそう回顧できるくらいには、必死になって取り組んだ(OBOGの方々からしたら、最初からそうしろ!と怒りを通り越して呆れられる話であるとは思いますが、本当にそのとおりだと思います)。12月に紙版での合格をいただき、1年以上遅延して終えることとなった三田論執筆活動の期間を鑑みると、卒論を完成させるまで明らかに残された時間が足りないことばかりに意識が向いてしまい、当時は完成したことに対する喜びを共有する間も本当に“束の間”であったことをよく覚えている。このように、三田論執筆活動を振り返ってみると、やはり最初に出てきたのは、“後悔”であった。最初からもっと計画的に進めていれば、もっと周りを頼っていれば、自分自身に足りていない能力を身に付けようともっと必死になって努力していれば。数えきれないほどの後悔の念を抱くこととなってしまったことに対しては、本当に悲しいし、悔しい想いでいっぱいである。しかし、「三田論執筆活動とは何だったのか。」この問いに対する答えは違う。それは、「突き詰めることの大切さを学ぶとともに、それに伴う大きな困難と喜びを得られる貴重な機会」である。なんだか締まりの悪い語になってしまったが、忠実に訳してみた。小野ゼミの活動を経験してきた人なら誰しもがそう思うであろうことだが、“より完成度の高いものを目指す”ことは、他のどのゼミにも絶対に負けない小野ゼミの強みの1つである。このことを身をもって知ったのが、この三田論執筆活動であった。そうして突き詰めていく中で、数々の困難を乗り越え、最終的に完成したことに対して、同じ研究を行った仲間とともに喜びを分かち合う。私は、この活動を通じて、かけがえのない仲間と、かけがえのない時間を共有し、かけがえのない経験をすることができたのだと思う。末筆にはなってしまいますが、これまで22期の三田論執筆活動に関わってくださった全ての皆様に感謝申し上げます(文の形式が変わってしまうことはご容赦ください)。はじめに、小野先生、約2年に渡って、ご指導ご鞭撻くださり、誠にありがとうございました。また、多大なるご迷惑をご心労をおかけしてしまいましたこと、大変申し訳ございませんでした。いつでもどこでも気軽に相談に応じてくださり、最後の最後まで22期を見放さず温かい愛情をもってご指導くださったこと、心より感謝申し上げます。続いて、院生の方々、21期の先輩方、OBOGの皆様、論文の執筆に際して、多くのご助言ならびにご指導を賜りましたこと、大変感謝しております。ありがとうございました。最後に、22期のみんな、他の代より行き詰ることが多かったと思うけど、みんなが頑張ってるから、自分も投げ出さずに頑張れたと思う。本当にありがとう。
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三田祭論文の執筆活動を通じて、自分が意外と短気で面倒くさい人間であることが発覚した。夏休み中、同期から「あんたは言い方がきつい」「眠い時に機嫌が悪い」等々、子供が母親からもらうような指摘を食らったのをよく覚えている。自分のことを器が大きく大らかな性格の青年だと認識していた私にとっては、思いがけない指摘であった。しかし、その指摘を受けて以降、少しずつ自分の駄目なところを自覚していった。何気なく同期の心を抉るような発言をしてしまうことや、うまくいかないと不貞腐れる自分の姿が浮き彫りになってきたのである。そして、論文内の文章だけでなく、私自身の在り方も修正しなくてはという焦燥感に駆られた。
執筆活動を終えた2026年現在の私は、執筆以前よりもソフトで余裕のある人間になった(自己評価)。自分自身の内面の弱さに気づくことができたのは、紛れもなく同期のおかげである。そして、三田祭論文の執筆活動という共通目標がなければ、同期が私の内面に対して指摘することもなかったかもしれない。自分という人間の成長を実感する1年半の活動であった。 最後に、小野晃典先生をはじめ、三田祭論文の執筆活動にご協力くださった全ての方々に、この場を借りて感謝申し上げます。 |
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先日、社会人の方と自分の未来のキャリアについてお話しする機会があり、その際に、その方から「仕事では、成果がなかなか出ずに、苦しむ場面がいくつもあり、あなたの理想としているキャリアにおいてはその現象が起きやすいが、どう思う?」という質問を投げかけられました。その質問を受け、私の頭に真っ先に思い浮かんだのは、三田祭論文執筆活動での日々でした。執筆初めの頃は、そもそも書き方が分からずに苦しみ、やっと軌道に乗り始めたと思ったら振り出しに戻り苦しみ、完成期限を過ぎてしまった頃は、期限を過ぎているにもかかわらず一才完成する未来が見えないことに苦しみ、成果が出ずに苦しむ場面ばかりであったと思います。私は、三田祭論文執筆活動をするまで、努力をしても前に進まないこと、時が問題を解決してくれないことを経験したことがなかったため、この経験を通して、成果を永遠に出せないことの苦しみを学ぶことができました。これは、三田祭論文執筆活動、ひいては小野ゼミに入らなければ実感することができなかったと思うし、社会人になる前に経験できて良かったと感じているため、心の底からこの環境に感謝しています。また、私は、スライドや画像の作成においてはチームに貢献できたものの、執筆においては文才のある同期に頼ってしまった部分があり、同期にも感謝の気持ちしかありません。三田祭論文執筆活動を通じて、同期のみんなからチーム活動のあるべき姿を学びました。ありがとう。最後になりますが、小野先生、1年半にもわたって私たちの三田祭論文執筆活動に関してご指導いただき、本当にありがとうございました。たくさんのご迷惑をおかけしているのにもかかわらず、最後まで見捨てることなくご指導いただけたこと、大変感謝しております。この活動を経て得た多くの学びを今後の生活に活かし、成果を出せるように頑張ります。
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研究を終えたのは2025年12月末。私たちは1年という大幅な遅延をした。私が卒業論文の完成に苦戦した原因は、この論文であろう。本当に、本当に、自分の至らなさを感じる活動であった。先生に指摘を受けるたびに、なぜ私は気付けないんだろうか、と反省を繰り返す日々であった。ただその分すごく自分は成長することができたのだと思う。なんだかんだ人生うまくやってきた自分にとっては、自分の能力を疑い、欠点を克服することに費やすことができた。私は、自分が思っていることを言語化することが苦手であった。そんな自分と比べて同期は本当に優秀であった。陽向は言語化が本当に得意で、いつも彼を頼っていた。彼の考え方、ものの見方を習い、少しだけ言語化することができるようになった気がする。壮真はロジックの細かい矛盾や脆い点に気付くことができる。ちひろは文を書くのが本当に上手だ、皆タフで、私がくじけそうになっても元気付けてくれた、、挙げ始めたらきりがない。自分を卑下してきたけど、私自身の強みも知ることができた。私は、自分でいうのもなんだが、表現の揺らぎに気付くことが他の人より多かった気がする。あと、夜誰よりも長い時間起きて、作業できる忍耐力があった。チームの強さは、互いの欠点を埋め合い、強みを分かち合って相乗効果を発揮することができる点であると、再確認した。もう2徹し風呂キャンを極めて、目黒の深夜までやっている銭湯に駆け込むことはないのだと思うと、少し安心するとともに寂しさを覚える。私たちが作業に費やした恵比寿のマックもつぶれてしまった。毎回ホチキスを貸してくれたり、印刷前に確認している私たちを多めに見てくれていたファミマの深夜シフトの外国店員さんたちにも、もう当分会わない。恵比寿ガーデンプレイスの長椅子も、提出前の原稿にコメントを書き入れる場所ではなくなる。挙げたら止まらないほど、濃密な時間であった。このような経験は、小野ゼミでなければ決して得られなかったものである。
最後に、1年半にわたる執筆活動において、私たちを見捨てず根気強く付き合ってくださった小野晃典先生に、心から感謝申し上げます。三年生の年に三田論が終わらない、而も前半章までしか執筆の終わっていない代、という前代未聞の第22期に対して、最後までご指導してくださり、本当にありがとうございました。そして大学院生の先輩方、何度も何度も相談に乗ってくださりありがとうございました。先輩方がいてくださったおかげで、何とか形にすることができました。そして第22期の皆、皆と論文執筆に費やした日々は、私が胸を張って頑張ったと言い切れる大切な思い出です。本当にありがとう。 |
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2025年2月18日
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| Copyright (c) 2022-2024 Prof. A. Ono's Seminar of Marketing, Keio University, Tokyo, Japan. All rights reserved. |
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